「気づけば、わが家にテレビがなくなっていました」
ミニマリストを目指していたわけでも、強い思想があったわけでもありません。
ただ、なんとなく距離を置いてみた結果、いつの間にか生活からテレビが消えていました。
いわば「自然消滅」のような形です。
手放してから数年。
正直に言うと、困っていることは、驚くほど何ひとつありません。
むしろ、テレビがあった頃よりもずっと、心穏やかに過ごせている自分に気づきました。
今日は、テレビを持たない暮らしで得られた「情報の断捨離」についてお話しします。
目次
1.情報は「浴びるもの」から「選ぶもの」へ
テレビを見ていた頃は、特に興味のない話題も、勝手に耳や目に入ってきました。
今は違います。
天気や災害は、行政のSNSや公式サイト、アプリで十分。
ニュースも、必要なものだけを、自分のタイミングで確認しています。
情報量が減ったことで、
**「頭の中が静かになった」**という感覚がありました。
かつては、四六時中、誰かの意見や騒動に脳の容量を割かれていたのだと、
手放して初めて気づきました。
2.「感情を揺さぶる演出」に疲れていた自分
テレビのニュースやワイドショーは、時に「目を引くこと」が最優先されます。
・不安を煽るような刺激的な見出し
・対立をあえて強調するような構成
・誰かの尊厳を削るような、無神経な伝え方
これらが演出であり、ビジネスであることは理解しています。
それでも、それを受け取り続けることに、私は少しずつ疲れていました。
メディアにとって「信頼」は、何より大切な土台のはずです。
けれど一度その信頼が揺らいでしまうと、
どんなに立派な言葉も、空虚に聞こえてしまいます。
「自分に関係のない怒り」を、
自分のリビングに持ち込まない。
それだけで、暮らしの解像度はぐっと上がりました。
3.「なんとなく」の時間を「贅沢な時間」へ
テレビを手放して一番変わったのは、時間の質でした。
なんとなく電源を入れて、
流れてくる映像を眺めていた、
ごっそり空いていた時間。
その時間は、今では別の何かに置き換わっています。
・読みたかった本をめくる時間
・お気に入りのプレイリストを流す時間
・ただ、静かに今日を振り返る時間
どれも、誰かに「おすすめ」されたものではなく、
私が自分の意志で選んだ時間です。
4.自分の「時間とお金」の使い道を取り戻す
テレビを持たないということは、
受信料や電気代、そして何より
「視聴時間」という名の資産を、
自分の好きなことに使えるということでもあります。
自分が心から共感できるもの。
応援したいもの。
美しさを感じるもの。
そんな自分が納得できる対象にだけ、
時間とお金を使いたい。
この小さな選択の積み重ねが、
暮らしの満足度を支えてくれている気がしています。
まとめ①|テレビを手放して感じたこと
・情報は「浴びるもの」ではなく「選ぶもの」になった
・感情を消耗させる演出から距離を置けるようになった
・なんとなく過ごしていた時間が、贅沢な時間に変わった
・時間とお金の使い道を、自分で選び直せるようになった
テレビを持たない生活は、
社会への否定でも、誰かへの批判でもありません。
ただ、
「自分の時間と気持ちを、どこに置くか」を
選び直しただけなのだと思います。
テレビがある暮らしも、ない暮らしも、どちらも正解です。
大切なのは、
流れてくる情報に振り回されるのではなく、
自分が心地よいと感じるバランスを、
自分で見つけることなのだと思います。
皆さんの身の回りにも、
知らず知らずのうちに、あなたを疲れさせている「ノイズ」はありませんか。
テレビのない夜に、私が選んだ習慣
テレビを手放して生まれた、ぽっかりと空いた時間。
「何もしないと手持ち無沙汰になるのでは?」と聞かれることもありますが、
実際はその逆でした。
その空白には、以前よりもずっと
手触りのある習慣が入り込んできました。
今回は、私がテレビの代わりに夜のルーティンに取り入れたことをご紹介します。
1.身体の声を聞く「ストレッチと筋トレ」
以前は、バラエティ番組を眺めながら
ポテトチップスをつまんでいた時間。
それが今では、ヨガマットの上で、
自分の身体と向き合う時間に変わりました。
筋トレは、激しいものではなく、
自分の体幹を感じる程度の自重トレーニング。
ストレッチは、
デスクワークで凝り固まった疲れを、
一つひとつ解いていくような感覚です。
テレビの音がない静けさの中で行うと、
呼吸や筋肉の伸びに、驚くほど集中できます。
情報で頭をいっぱいにする代わりに、
身体を動かして「今ここ」に戻る。
この切り替えが、
良質な睡眠へのスイッチになっています。
2.「対話」を楽しむ読書の時間
テレビの情報は、流れていってしまうものですが、
本は、自分のペースで深められるものです。
誰かの意見を一方的に聞くのではなく、
著者の思考をなぞりながら、
自分はどう感じるかを考える。
この静かな対話の時間は、
私にとって、とても贅沢な時間になりました。
気づけば、
「時間がなくて読めない」と思っていた積読も、
少しずつ減っていきました。
【番外編】あえておすすめしない、私の長風呂
テレビがないと、時間の使い方が自由になりすぎて、
ついついやってしまうことがあります。
それが、長風呂です。
お気に入りの入浴剤を入れて、
静かな空間で、ぼーっとお湯に浸かる。
一見、最高のリラックスタイムに思えるのですが、
正直、あまりおすすめしません。
・気がつくと1時間近く経っていて、逆に疲れてしまう
・湯あたりして、お風呂上がりに何も手につかなくなる
・水分を奪われて、かえって肌が乾燥する
「癒やされたい」という気持ちだけで長風呂をすると、
結局は体力を削ってしまう。
何事も、ほどほどが一番だと、
のぼせた頭で反省するのが、最近の定番です。
まとめ②|テレビのない夜がくれたもの
・身体を整える時間が増えた
・考えるための静かな時間が戻ってきた
・自分の体調や気分に合わせて夜を組み立てられるようになった
・失敗も含めて「自分で選ぶ」感覚が増えた
テレビという受動的な娯楽を手放したことで、
私の生活は、少しずつ能動的になりました。
誰かに与えられたスケジュールではなく、
自分の感覚を頼りに夜を過ごす。
その主体性こそが、
暮らしの満足度を高めてくれているのだと思います。
あとがき
もし、今夜あなたに、自由な1時間があったら、
何をして過ごしますか。
まずはヨガマットを1枚敷いてみることから、
新しい静けさが始まるかもしれません。
※長風呂だけは、くれぐれもご注意を。
Thank you for reading Labo Life.



