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鉄板と扉   - 短編小説 –

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鉄板と扉 / Labo life

店主が鉄板にマヨネーズで描いた黄色い線は、昨日書店で拾った付箋の色によく似ていた。

「はいよ、たっぷりね」

店主の威勢のいい声と一緒に、ソースの焦げる匂いが一気に立ちのぼる。
僕はそれを、夜勤明けの肺いっぱいに吸い込んだ。

隣の男は、僕が返した絵葉書をじっと見つめていた。
やがて、何かを決心したようにペンを走らせ始める。
煙の向こう側で、誰かの「書きかけの物語」が再び動き出す。
その熱に当てられるように、僕は自分のお好み焼きを口に運んだ。

熱い。
けれど、その熱さこそが、今の僕に必要な痛みだった。

「ごちそうさま」

店を出ると、冬の街は相変わらず冷たかった。
けれど僕の胸の奥には、消えない種火が宿っていた。
僕は真っ直ぐに家へ向かう。
ずっと避けてきた、あの扉を開けるために。

部屋に入り、弟の部屋の前に立つ。
かつて大学の研究室で、成功の確証がない実験を前に立ち尽くしていた時よりも、手が震えていた。
でも、僕はもう「観察者」でいることをやめたのだ。

ゆっくりとドアノブを回す。
埃の匂い。
時間が止まったままの、弟の部屋。

机の上には、あの日のままのガイドブックが開かれていた。
そこには、僕たちが子供の頃に行った海辺の街のページが折られ、余白に震える筆跡でこう書かれていた。

『兄貴の誕生日に、ここで。』

視界が急激に歪んだ。
仲が悪かった、死んだような関係だと決めつけていたのは僕だけだった。
僕は「自分だけの人生」の殻に閉じこもり、隣にいた弟の「予熱」に気づこうともしなかった。

机の引き出しの隙間から、一枚の黄色い付箋が覗いていた。
そこには、ただ一言。

『またな』

昨日拾った「また来週」という他人の希望よりもずっと、残酷で、そして温かいバトンだった。
あの日、救急車の中で聞いた茶碗の音。
あれは、僕を呼ぶ声だったのだ。

僕は台所へ行き、炊飯器を開けた。
真っ白な湯気の中に、弟の気配を探すように手をかざす。
茶碗を二つ並べ、米を盛る。
一作目と同じ、でも、決定的に違う食卓。

僕は箸を手に取り、そっと茶碗の縁を叩いた。

カチン。

乾いた音が、静かな部屋に響き渡る。
もう、夢じゃない。
これは、僕がこれからも生きていくための「生活」の音だ。

失ってから気づくことばかりだ。
後悔なんて、一生消えない。
でも、だからこそ言えることがある。

自分一人だけで完結する人生は、もう歩いちゃいけない。
誰かの熱を受け取って、誰かにバトンを渡して、そうやって混ざり合って生きていくんだ。

窓の外では、夜勤明けの僕を祝福するように、太陽が昇りきっていた。
僕は、二つ並んだ茶碗の片方を見つめ、もう一度小さく笑った。

「……いただきます」

最後の一口を飲み込んだとき、僕はようやく、本当の意味で今日を始めることができた。

(終)


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