はじめに
ミニマリズムの話を書き、
ゴミや資源のことを書き、
Apple製品の使い方を書き、
交通ルールや制度の話も書いてきました。
振り返ってみると、
テーマはかなりバラバラです。
それでも、私はずっと同じ場所を見てきた気がしています。
それは、「生活」です。
今日は、なぜ私は生活のことばかり書き続けているのか、
その理由を少しだけ言葉にしてみようと思います。
テーマは違っても、見ている場所は同じだった
ミニマルな暮らしも、
デジタルとの付き合い方も、
ゴミや資源の問題も、
交通ルールの話も、
どれも生活の外側の話に見えます。
でも私にとっては、
すべて、
「今日をどう過ごすか」
につながる話でした。
生活は、一番小さな社会だった
法律も、制度も、
環境問題も、テクノロジーも、
ニュースになる時は、
とても大きな話として扱われます。
けれど、
それが本当に意味を持つのは、
自分の生活の中に入ってきた時です。
ゴミの分別が変わった時。
交通ルールを守らなければならない場面。
新しい仕組みが、暮らし方を少し変えた時。
私はずっと、
社会そのものよりも、
社会が生活に触れる瞬間を見てきたのだと思います。
書くことで、自分の生活を確かめていた
正直に言うと、
誰かに伝えたい、という気持ちよりも先に、
自分のために書いてきました。
今日はどう感じたのか。
なぜ違和感を覚えたのか。
何がよかったのか。
書かないと、
たぶん私は、すぐ忘れてしまいます。
生活は流れてしまうからです。
記事は、実験の記録に近い
新しいことを試して、
少し続けて、
合わなければやめる。
うまくいったことも、
思ったほどでもなかったこともあります。
それを、そのまま残しているだけです。
だから私の記事は、
ノウハウというより、
実験ノートに近いのだと思います。
資産であり、生きた証だと思っている
以前、私は、
このブログは「資産」であり、
「生きた証」でもある、
と思ったことがあります。
少し大げさに聞こえるかもしれません。
でも、
何を選び、
何をやめ、
何に迷い、
どう暮らしてきたか。
ブログが書けなかった数年間、
それが積み重なって残っている場所は、
今の私にとって、このブログだけです。
生活を書くことで、生活に戻ってこられる
生活について書くことは、
生活から離れることではなく、
生活に戻るための行為でした。
考えすぎた時。
立ち止まりたい時。
少し自分の位置を確かめたい時。
私はいつも、
生活の話に戻ってきます。
これからも、きっとそうだと思います。
まとめ
- テーマは違っても、見てきたのはずっと「生活」だった
- 生活は、私にとって一番小さな社会だった
- 書くことは、自分の生活を確かめる手段だった
- 記事はノウハウではなく、実験の記録に近い
- このブログは、私にとって資産であり、生きた証である
Thank you for reading Labo Life.

